白浜一良

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ヒューマンストーリー (2)

花の男子校ライフ

男子校でかっこええから!という理由で、奈良市にあった私立の青々中学に行こうと決め、入学試験を受けて合格しました。

当時はまだ中学校しかなかったけれど、卒業時には高校も併設されることになって、そのまま進学しました。現在の東大寺学園です。

今でも、東大寺の同級生とはお付き合いを続けさせていただいてます。

初出場でインターハイへ

初出場でインターハイへ

高校に入ってからは何かスポーツでもしようと思い、体育の先生がハンドボールをしていたこともあって、仲間を集めてハンドボール部をつくり、キャプテンをしました。もちろん、その先生がコーチしてくれたんですけど、なにせ体力も技術もありません。自分たちであれこれ作戦を練って、サインプレーも考え出したりして。おかげで、2年生のときは総体(全国総合体育大会=各都道府県の予選を勝ち抜いた学校が代表になる)に出ました。大番狂わせですよ。まあ、奈良県で参加したのは8校だけだったんですけれど。

悩める青春時代 本気で大学は哲学科へ

高校を出て、京都大学文学部哲学科に進みました。社会の不公平、人間の不幸を根本的に解決する道を深く追求したかったのです。

哲学を選んだのは、高校の倫社(倫理社会)の先生の影響です。実存主義の話を聞いたとき、そうだ!という実感がありました。「人間は自由であるが故に不安である」というサルトル(フランスの実存主義哲学者)の有名な言葉に共感を覚えたんです。

大学に入学したのが昭和42年ですから、大学や社会を改革しようという学生運動が最高潮に達していたころで、授業はほとんどありませんでした。1年生の秋、うちのクラスから東京での闘争に参加した連中が機動隊と衝突して、翌日、皆、血まみれになって帰ってきたんですけど、そのなかの1人が死んだんです。それがきっかけで、人間の生と死について考えはじめるようになり仏教についても勉強しました。