僕は、終戦直後のベビーブームのまっただ中に生まれた、いわゆる団魂の世代。そのなかでも、いちばん人数が多い昭和22年生まれです。小学枚では1クラスに60人もの子どもがいました。 兄弟は、6歳上の姉、4歳上の兄がいます。僕は、その仲良し3人兄弟の末っ子。ニックネームは「かっちゃん」です。ほんま、もう、やんちゃくれ(=わんぱく坊主)やったよ。
小学生のころは学級委員でした。 なかには、学校に来ない子もいて、先生に言われたわけではないんですが、そういう子の家に行っては、「学校、来いや」言うて、一生懸命誘っていました。せっかく同じ学校にいてるのに、そこからはずれてる子がおるというのが、なんやしらんイヤやったんです。
ロケット技師になりたかったのは、当時アメリカやソ連でロケットが次々と開発されて宇宙へと打ち上げ始めた時代だったので、自分もそんな仕事ができたらいいなぁと、夢をみました。なにしろ理数系は得意やったしね。
父親は、九州男児の頑固一徹。
仕事は技師をしてました。無口なんやけど、しかるときは厳しくて。決められた時間より家に帰るのが遅かったりすると、言葉より先に下駄でたたかれました。
母親はふだんから、親戚・近所との付き合いはきちんとしなさい、それから、人に迷惑かけたらあかん、この2つを僕らは言い聞かせられてました。朝早くから、夜遅くまで家のことをして、子どもの面倒を見て。父親が夜勤で家にいないときもありましたし、体の休まることがなかったんちがうかな。
小学生のころでしたか、額に汗しながら生きている母親の姿を見てて、かわいそうやな、なんとか手助けすることはできないかと思って、母親よりも早く起きて、ご飯を炊いたりしたこともあります。当時のことですから、炊くといってもかまどです。火を起こして、お米洗って、ずっとその前におって火加減も調節しながらね。